2012年9月28日のNHK「くらしキラリ解説」で東京駅赤レンガ駅舎の歴史と技術面の詳しい解説をしていました。
さすがにNHKです。民放のお気楽なグルメ情報やトリビア情報とは異なり、押さえるべきポイントはきちっと押さえて、立派な歴史・技術情報を伝えてくれます。
もう少し、民放はもっと見習うように。
概要は次のとおりです。
大正初期当時の姿で蘇った東京駅の赤レンガ駅舎。
来週月曜日のリニューアルオープンを前にしたイベントです。
鉄道の歴史をイメージした映像が投影され、新たな出発をアピールしました。
長年親しまれてきた東京駅赤レンガ駅舎は、今回どう変わったのでしょうか。
赤レンガ駅舎は、国の重要文化財なのですが、実は、これまで私たちが見てきた姿は本来の姿ではなかったのです。
この建物が建てられたのは、今から98年前の大正3年です。
当時の最高の技術が尽くされた日本の近代化を象徴する大建築でした。
関東大震災でもほとんど被害がなかったのですが、太平洋戦争末期の空襲で屋根と3階部分が大きく壊れて内部は焼け落ちました。
そのため、戦後急遽2階建てに改修されて、そのままずっと使われ続けてきました。
復原工事が5年前に始まって、500億円かけて、3階建の部分と左右のシンボルに見えるドームが復原されました。
屋根にはスレートと言われる天然の石が敷き詰められているのですが、建築当時と同じ宮城県石巻市雄勝(おがつ)地区の石が使われています。
内部を見ると、昔の写真をてがかりにレリーフが忠実に復原されています。ワシ、十二支の干支の動物などがあります。
内部は、以前から駅の施設の他、東京ステーションホテル、レストランなどで使われていましたが、今回は広くなった上、豪華に全面的に改装されました。
この赤レンガ駅舎について、どういったところに注目すべきでしょうか。
すごく印象深い点が2つあります。
一つは、復元作業でわかった当時の技術の高さと、先人たちの気概、心意気が今に伝わったということです。
もう一つは、建設と復原、一世紀を隔てても不思議と共通する点が多いことです。
例えば、松の木の杭、駅舎の地下に長さが4メートルから7メートルくらいのものが一万本埋められていました。
東京駅の地盤が柔らかいので、建物を支えるために使われました。
今回、復元のために調査をしたところ、長さ335メートルある建物が、部分的に沈んだり、ゆがんだりがほとんどしていなくて、技術者を驚かせました。
地震にも耐えた頑丈な杭だったわけです。
復原された駅舎では、この杭の代わりに免震装置、特殊なゴムで作った揺れを小さくする装置を取り付けられていて、その時代の最善の方法で建物を護っているという点で共通しています。
さらに現代の技術者を驚かせたことがあります。
創建当時、骨組みを組み立てて、これに赤レンガを積み立てて作って行きました。
今回調査のために表面を剥がして内部の赤レンガと鉄骨を見てみました。
鉄骨とレンガの間に隙間が全然ないことが分かりました。
これは、コンクリートを流し込んだのではなくて、レンガを一つ一つ鉄骨の形に合わせて加工して積み上げていったことが分かりました。
角の複雑な形にもそれに合わせてレンガを一個一個削ってパズルのようにはめ込んでいます。
これがすごい手間がかかったものと考えられます。
これによって水が染みこんで鉄骨が錆びて弱くなったり、関東大震災でもひびが入ることもなく、創建当時の強度が保たれていることがわかって、今の技術者を驚かせたというより感動させて、ようし俺達もこれに負けない仕事をしようと奮い立たせたそうです。
もう一つ仕事の丁寧さという点では、建物の外壁のレンガの目地の部分を見ると、普通目地は平らですが、わざわざ蒲鉾のように盛り上がっています。
そして、交差する部分は、V字型に綺麗に加工されています。
これは、雨水を流れやすくするためとかではなくて、見栄えを良くするためのデザイン、装飾のためです。
これが350メートルの建物全部に施されています。
デザインのためだけで、レンガの溝一個一個に施されているわけです。
とにかく復原にあたった技術者たちは、調査をする度に驚きの連続だったそうです。
丸の内駅舎復元の設計を担当した田原幸夫氏は、「設計者から、施工者、職人さんまで心意気というか建物づくりにかけるエネルギー、気持ちが相当すごいです。先人たちの素晴らしい仕事を、あらためて我々がお手伝いをして新しく使い続けていけるようにできたのは非常に幸せなチャンスだったと思います。」
ここまで丁寧な作業にこだわった先人たちの気概が今の技術者を奮い立たせているということです。
他にも当時と今の共通点があります。
お金がなかったというこことが共通しています。
駅舎が計画された当初、国にあまりお金がなくて、駅舎の予算は非常に少なかったそうです。
ドイツ人の技師が設計した第一案では、ほとんど平屋造りの質素なものでした。
その後、当時の建築界の重鎮であった辰野金吾氏が設計を引き継ぎ、辰野氏も予算不足に大変苦しみました。
八年もかけて設計を何度も練り直しましたが、最終段階の案は2階建てだったそうです。
それが3階建に変わったのは、ある大きな出来事がきっかけでした。
それは日露戦争に勝って、列強の一角ロシアに勝って国民全体が湧き上がりました。
当時、鉄道院の総裁は、後に関東大震災の復興に辣腕を振るう後藤新平でした。
大きい話をするので、大風呂敷と言うあだ名もありました。
その後藤新平が、「日露戦争で世界の一等国になった日本の中心の駅が2階建てでは小さい」と言って、予算がついて、3階建てに変更されました。
現代でも、資金繰りは大変でした。
赤レンガ駅舎は、戦後、取り壊して超高層ビルにすると言う話が持ち上がりました。
復原を求める声も強まりましたが、復原・保存はお金がかかって利益を生まないと。
そこで考えだされたのが、空中権を売ることです。
建物は、敷地の大きさに合わせて、建物の高さの上限が決められています。
東京駅の建物は低いので、上空にはもっと余裕があります。
その余裕を周りの建物に売りました。
文化財に適用される特例を利用したものですが、それによって500億円の資金を得て、保存・復原の費用に当てました。
創建当時も、今回の復原もいろんな知恵を出して難しい問題を乗り越えたというのは共通です。
建築の歴史が専門の工学院大学の藤森教授は、「復原によって赤レンガ駅舎は国宝級の建物となった。何より日本の近代化を象徴して、東京の顔とも言える歴史的な建物ができた意味は大きい。」
こうした復原の歴史、意味を知ると東京駅の見方も変わってきます。
80年以上の歴史がある名門東京ステーションホテルのあゆみとエピソードが鉄道史をからめて綴られています。
東京ステ-ションホテル物語 種村直樹 著
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