デパイチスイーツ 和洋菓子 大丸東京店1階 (2)

大丸東京店の1階にあるデパイチスイーツの続編です。

福砂屋  (五三カステラ)
創業が1624年の本店が長崎市にあるカステラの福砂屋です。

長崎カステラの元祖とも言われる会社です。

そもそもは、砂糖や米を取り扱う貿易商でしたが、長崎に渡来していたポルトガル人から直接教えてもらったカステラを含む南蛮菓子づくりをはじめました。

この時に長崎カステラを創作しました。

明治時代に入り、独特のコウモリの形をした商標を定めました。

また、明治時代には、卵と砂糖の分量を多くして、小麦粉を少なくして高級カステラとも言える五三焼カステラを考えだしたのも福砂屋です。

また、その後、宮中お買い上げになり、卵白のみを使う「白菊」、逆に卵黄だけを使用する「黄菊」の特性カステラを考えだしました。

福砂屋の「長崎カステラ」の特徴は、カステラの底の部分にザラメ砂糖が残っていることです。

「フクサヤ キューブ」は、熟練の職人が作っているカステラが、キュートな角型のパッケージに入っています。

「オランダケーキ」は、伝統のカステラに香りが良い良質なココア、クルミ、レーズンが入っています。

「特性五三焼カステラ」は、カステラの風味が更に良くなっているもので、砂糖、ザラメ糖、卵は多くして、小麦粉の分量が少なくなっています。量産できませんので価格も高くなっています。

現在では、長崎・九州エリアに25店舗、福岡・中国・四国エリアに27店舗、その他の全国エリアに47店舗、合計99店舗も展開しています。

「手づくり最中」は、パリっとした風味の中で香り高い外皮に、粒選りの小豆で作っているアンを好みの量を詰めて食べることができます。

福砂屋のカステラ

銀座 あけぼの  (和菓子)
創業が昭和23年の本社が東京都中央区日本橋浜町にある株式会社曙の菓子店です。

銀座のお菓子屋さんです。

終戦後間もない頃、銀座4丁目の交差点近くで冬季はおしるこ、夏季はかき氷のお店として産声を上げました。終戦後でしたから、暗い世相に「新しい日本の夜明け」を思い、「あけぼの」と言う屋号にしたそうです。

その後は、優秀な菓子職人を雇い、クオリティの高いお菓子を仕入れていったため、新橋、日本橋、赤坂の花柳界から贔屓にされ、また、料亭のお土産品として人気を得て来ました。

玉川高島屋と言う巨大なショッピングセンターの開店を機に、有名な百貨店に進出していきました。

現在では、都内のデパート、ショッピングセンター等に多数店舗を展開しています。

看板商品は、「味の民藝」です。
2003年のロンドン・インターナショナル・アワーズの菓子・スナックパッケージ部門でWinner(最高賞)を受賞したほどです。
型絵染めの人間国宝 芹沢けい(金圭)介氏の制作にかかる「春」「夏」「秋」「冬」の掛紙、黒い漆塗りの紙の箱、おかきの形をデザインした四色のパッケージ包装もおしゃれです。
17種類のおかきが入っています。

「それぞれ」は、おかきの詰合ですが、一点から七宝まで六種の袋が入っており、全てを食べると38種類の美味しさが味わえます。もち米は国内産の「みやこがねもち」「ひよくもち」だけを使用しており、ノリ、コンブ、ゴマなども国産の食材を用いています。

銀座 あけぼののお菓子

森幸四郎  (カステラ)
明治33年創業の東京都中央区築地に本社がある文明堂製菓株式会社、株式会社文明堂銀座店のカステラ店です。

元々は、初代が長崎の丸山でカステラをメインとするお菓子の製造販売を始めたのがスタートです。
大正3年に東京進出をしました。
昭和14年に銀座店が開店しました。

森幸四郎という店の名前は、食の人間国宝・フードマイスター受賞者であり銀座文明堂最高技術顧問の森 幸四郎氏からとったものです。

森幸四郎氏は昭和10年生まれの長崎県出身です。17歳で文明堂に入社以来、カステラ職人として手焼きカステラひと筋文明堂で活躍して来ました。当然、カステラ作りが大好きで、「少しでもおいしいカステラを作りたい。」都の一念から研鑽してきたそうです。

手焼きカステラを焼いて40年以上の森幸四郎氏は、昔から五味がすると珍重されていましたが、作り方が難しく、幻のカステラとなっていた五三カステラを製造復元しました。その技術から、平成6年度農林水産大臣賞「食の人間国宝・フードマイスターを受賞しました。

看板商品の「特撰五三カステラ」は、食材を厳しく選んで、卵黄を通常のカステラより3割増やし、四国阿波の特産品である「極上和三盆糖」とイギリス産の最高級蜂蜜「コッツウォルド・ハニー」を使用しています。食べやすい10切スライスになっています

森幸四郎のかすてら 1本桐箱入

銀座鈴屋  (甘納豆)
設立が1951年の本社が東京・銀座にある株式会社銀座鈴屋の和菓子店です。

作り続けて60年以上にもなる甘納豆の専門店です。

東京都内に18店舗、特に羽田空港に集中して7店舗を展開しており、神奈川県に5店舗、千葉県に3店舗、埼玉県に2店舗、茨城県と広島県に1店舗づつ、合計30店舗あります。

甘納豆とは、甘い納豆ではありません。

豆や、栗、蓮の実、さつま芋輪切りなどを砂糖で漬け込んだ和菓子の一つです。東京日本橋にある榮太樓が、1857年に発案したものだそうです。当初は、甘名納糖と故障されていましたが、終戦後に甘納豆の名称が定着しました。

これらの甘納豆よりも、水分を多くし、甘さも控えめにしたぬれ甘納豆があり、新宿の花園饅頭が有名ですね。

さて、銀座鈴屋の甘納豆の売れ筋商品ランキングがあります。

第1位~2位は、「渋皮栗しょこら」で、銀座鈴屋の代表的銘菓である「渋皮付甘栗納糖」を今風にアレンジしています。具体的には、チョコレートをかけたものです。

第3位は、「金柑甘納糖」で、宮崎県産の完熟金柑を甘納豆に仕上げています。

第4位は、「華やぎ」で、華やかな6種類の甘納豆を、目出度い六角亀甲形の箱につめあわせており、銀座鈴屋の代表的な甘納豆を一度に堪能出来ます。

第5位は、「栗甘納糖詰合せ」で、代表銘菓の「栗甘納糖」と野趣の雰囲気がある「渋皮付甘栗納糖」を詰め合わせたものです。

銀座鈴屋の甘納豆

赤坂柿山  (あられ・おかき)
設立が1971年の本社が東京・赤坂にある株式会社赤坂柿山の和菓子店です。

あられやおかきの専門店です。

お店の沿革等は情報がないのでわかりません。

あられやおかきは、お米の選定が大事なようで、赤坂柿山では富山県地方の特産である新大正もち米を使用しています。

赤坂柿山の、一番人気の商品は柿山セレクトです。
赤坂柿山の金看板、赤坂慶長、赤坂慶風そして素焼きかき餅を詰め合わせています。
赤坂慶長は、新大正餅米を薄焼きにしています。醤油、切り海苔、ゴマ、エビなどの朱ルイがあります。
赤坂慶風は、カリフォルニア産の大粒のアーモンドにあられの衣をかぶせています。
素焼きかきもちは、新大正餅米と塩だけで作っています。

「あ・ら・かしこ」は、新発売のおかきで、一口サイズのおかきを詰め合わせています。

赤坂柿山のあられ・おかき

坂角総本舗  (海老せんべい)
創業が明治22年の本社が愛知県東海市にある株式会社坂角総本舖の海老せんべいのショップです。

愛知名物の海産物を食材とするお菓子を製造販売していますが、海老煎餅の「ゆかり」がメインの商品です。

江戸時代初期の1666年に、尾張藩の徳川光友公が海に行った時、漁師たちが浜で焼いていたエビのすり身焼きを食べていたく感動し、後にこれが徳川の献上品となりました。
1889年に、坂角本舗の創業者が東海市でえびせんべいを作り始めました。
戦後、坂角総本舗を設立し、機械化、量産に着手しました。
現在では、工場が2ヶ所あり、東海市と名古屋市に直営店があり、販売店は北海道から九州まで多数展開しています。

主力の商品は、海老煎餅ですが、うす焼きの煎餅にエビのタレを染み込ませたようなものではなく、エビのすり身そのものを焼き上げたものです。

そのため、海老の風味が格段によく、芳ばしい味わいは流石と思わせるものがあります。

看板商品は、「ゆかり」で、小さめの薄い海老煎餅です。

「車海老工房 一心」は、新鮮な車海老を姿のまま煎餅にしたものが入っており、コレも相当インパクトがあります。

「天まり」は、海老煎餅の人気3種の詰め合わせです。

坂角総本舗の海老せんべい

舟和  (芋ようかん)
創業が明治35年の本社が東京都台東区駒形、本店が東京都台東区浅草にある株式会社舟和本店の芋ようかんのお店です。

浅草寿町で芋問屋をしていた創業者が、その時代には高すぎて庶民には高嶺の花であった羊羹の代わりとして、安いさつま芋を工夫しながら作り上げたのが芋ようかんです。
明治35年には、浅草に店を開き、芋ようかん、あんこ玉、栗むしようかん、練りようかんを売っていました。

また、あまり知られていませんが、明治36年にみつ豆を初めて売りだしたのも舟和のようです。四角い寒天、甘く煮たアンズ、ぎゅうひ、赤エンドウの上から白蜜や黒蜜をかけたものです。みつ豆ホールを開設しました。

看板商品は、いうまでもなく「芋ようかん」です。さつま芋を着色料や保存料、香辛料は全く使用せずに、甘露と砂糖と食塩だけで作っています。そのため、そのまんまさつまいもの風味がストレートに味わえます。

東京のお土産品としても最適な逸品です。

「あんこ玉」は、舟和の創業当初からあるお菓子で、1個丸ごとアンコのお菓子です。アンを寒天でくるんでいます。小豆、白いんげん、抹茶、イチゴ、みかん、コーヒーの6種類の味があります。

舟和の芋ようかん・あんこ玉

葵の倉  (草加せんべい)
大正5年創業の埼玉県八潮市にある株式会社草加葵八潮店の草加せんべい屋さんです。

草加煎餅は、葵の倉の本社がある八潮市ではなくて、本来草加市が本場で、同市の名産品でもあります。

もともと、草加市は米がよくできる所でもあり、同時に醤油の産地からも近いことから日光街道の宿場町として栄えてきました。江戸時代には、日光街道の名物としても知られるようになりました。さらに大正時代には、天皇家が食した旨い草加の煎餅として名声が上がりました。そのため、草加煎餅を製造販売する業者が急増し、現在でも草加市内には、草加煎餅を製造したり販売する店が70軒以上もあると言われています。

葵の倉は、数多くある草加煎餅業者の中でも日本一の売上と生産量を誇っているそうです。

また、草加煎餅だけではなくて、あられも作っており、近年では、和と洋のセンスを取り入れた煎餅やあられを提供しています。

「やわらぎ焼き」は、産地や素材にこだわったソフトタイプのおかきとせんべいの詰め合わせです。

また、「草加ざらめ」は、草加煎餅の周囲が、砂糖のザラメで覆われていて、甘さとしょっぱさが絶妙なバランスです。お茶を飲む時に、調度よいお菓子の一つでしょう。

葵の倉の草加煎餅

塩瀬総本家  (志ほせ饅頭)
塩瀬総本家の志ほせ饅頭創業が貞和5年、1349年の東京都中央区明石町にある合資会社塩瀬総本家のお饅頭屋さんです。

初代は、中国の宋の人で、来日後、奈良に定住し、そこで饅頭を作り朝廷に献上したと言われており、その饅頭が日本の饅頭の元祖であると言われています。
以降、天皇家や足利義政などの権力者にも可愛がられ、塩瀬の屋号は足利義政と関係があるそうです。
現在の店主は、34代目だそうです。
1659年までは、京都に店がありましたが、1659年に日本橋に店を出し、江戸城の御用を承っていたそうです。
その後は、宮内省の御用達ともなりました。
このように、饅頭屋と言っても、すごいものがあり、これが老舗といっていい店なのでしょう。

看板商品は、「志ほせ饅頭」です。自慢の一口薯蕷饅頭です。素材を徹底的に吟味して作られている老舗の銘菓です。

「本饅頭」は、七代目が創案したものであり大納言の小豆あんを薄い皮で包んでおり、それを蒸し上げたものです。これがまたすごいのですが、徳川家康が長篠の戦いに出かけた時に、献上されたこの饅頭を兜に盛って、神様に供え、必勝をお祈りしたことから別名「兜饅頭」とも言われています。

「紅白薯蕷饅頭」は、おめでたい紅白の饅頭です。

塩瀬総本家の志ほせ饅頭

ひよ子  (ひよ子)
大丸東京店にひよ子を出店している会社については、なかなか特定できないのですが、おそらく株式会社東京ひよ子と思われます。

設立が昭和63年、本店が東京都台東区上野にある株式会社東京ひよ子の販売店と思われます。

「ひよ子」は、1912年に福岡県の飯塚市にある吉野堂で誕生しました。可愛いひよこの形をしたおまんじゅうです。

福岡県の飯塚市は、筑豊地域にあり、かつては筑豊炭鉱で栄えていました。筑豊を通る長崎街道によって運ばれていた砂糖を使い、重労働である炭鉱労働者に好まれる甘いお菓子がたくさん作られていました。ひよ子は、そのようなお菓子の一つだったのです。

このユニークな形のひよ子には、面白い話が伝わっています。創業二代目の店主の夢に現れたのがひよ子饅頭だったそうです。その背景として、飯塚地域は、養鶏が盛んであったことも関係しているのではないかとも言われています。

このひよ子が福岡・博多でも評判となり、辛子明太子とともに博多土産の定番となりました。

東京オリンピックの1964年頃に、東京に進出し、ここでも大評判となった結果、東京土産としても定着し、今では福岡で発祥したお菓子であることを知らない人も多くいるようになっています。

可愛い形のひよ子饅頭

鶴屋吉信  (京菓子)
創業が享和3年、1803年の本店が京都市上京区今出川通堀川西入にある株式会社鶴屋吉信の販売店です。

京菓子の老舗です。

明治初年には、京名物となった「柚餅」を販売しました。大正時代には、銘菓「京観世」などの今に伝わる京菓子を多数販売し始めました。

看板商品の「柚餅」は、香りの良い柚子をソフトな求肥でつつんで、国産の和三盆糖をまぶしたつまみ菓子です。京都の文人画家である富岡鉄斎が、この柚餅を大変贔屓にしていたそうで、鶴屋吉信の本店の玄関には、富岡鉄斎の書が掲げられています。

「京観世」は、吟味して選んだ小豆を使った小倉あんと村雨を手づくりで巻き上げている棹菓子だそうです。村雨とは、菓子用語で固めに炊きあげたアンに、米粉と餅米の粉を加えて混ぜ合わせ、金網の目を通すことによりそぼろ状にしたものを蒸し上げたものです。また、棹菓子とは、京観世のように長いお菓子を、切って食べるようなお菓子のことです。

鶴屋吉信の京菓子

船橋屋  (くず餅)
創業が文化2年、1805年の東京都江東区亀戸日本店がある株式会社船橋屋のくず餅店です。

主に、くず餅やあんみつなどの製造販売をしている会社です。元祖くず餅の店と言われています。

創業者が、江戸時代の後期に、亀戸天神の参道で商売をはじめました、船橋という語は、創業者の出身地です。

直営店は、亀戸駅前店、こよみ広尾店、柴又帝釈天参道店、本土寺参道店、阿佐ヶ谷駅前店、巣鴨地蔵通り店といずれも下町の寺社の参道が多いようです。

その他、東京大丸店を始めとして、有名デパートにも販売店があります。

くず餅とは、本来は、葛粉から作られる和菓子です。久寿餅というものもありますが、小麦粉を発酵させて作るもので、チョット混同するのですが、船橋屋のくず餅は、小麦粉の方です。

関東で作られているくず餅は、透明か半透明で、ぷるんとした独特の触感があります。外観が涼しさを感じさせてくれることから特に夏場に人気があるお菓子です。

船橋屋のくず餅は、上質の小麦でんぷんを地下の天然水で15ヶ月も発酵させ、それを蒸しあげて作っています。独特な歯ごたえがあるのが特徴です。これに秘伝の黒糖蜜ときな粉を加えて頂きます。

また、あんみつやみつ豆も看板商品です。小さな四角の寒天、紅白の求肥、フルーツ、コレに船橋屋のくず餅をくわえているのが船橋屋の特製みつ豆です。これにアンコを入れたものがあんみつとなります。さらに白玉を入れたあんみつもあります。

「豆寒天」は、北海道富良野産の赤エンドウ豆をたっぷり使用し、寒天と黒蜜糖が入っています。シンプルな一品ですが、それだけに素材の良さが引き立つものです。

船橋屋のくず餅・あんみつ

両口屋是清  (和菓子)
創業が寛永11年、1634年の本社が名古屋市中区丸の内にある両口屋是清の店です。

元々は、大阪の菓子司が、尾張藩の御用菓子を作るために呼ばれたものだそうです。1686年には、尾張藩主の徳川光友から直筆の看板「御菓子所両口屋是清」と言う看板をもらったそうです。
しかし、大正末頃の両口屋是清は、わずかに十人足らずの従業員だったとのことです。
昭和の初めには、「二人静」や「をちこち」などの菓子を発売しました。戦後には、「千なり」を販売し始めました。

看板商品の「千なり」は、名古屋名物のどら焼だそうです。北海道産小豆を炊きあげたアンに、ふんわりとした焼き皮でつつんだものです。愛知産の抹茶をアンにした「抹茶あん」もあります。その他には、国産白小豆粒入りアンの「紅粒あん」も好評です。

「二人静」は、茶花「二人静」を模した紅白のお菓子です。徳島県産の和三盆を使用しています。

「をちこち」は、大納言小豆の味わいを堪能できるお菓子です。「をちこと」と言う語の意味は、古文書の中で使われている「遠い近い」と言う意味で、はるかに見える山々の風情をデザインしたものだそうです。とてもそんな風には見えませんが。

両口屋是清の和菓子

叶匠壽庵  (和菓子)
創業が昭和33年の本社が滋賀県大津市にある株式会社叶 匠壽庵の和菓子の店です。

全国の有名デパート、高速道路のサービスエリアなどに70店舗出店しています。

創業者は、梅の菓子に合う食材を全国に探し歩きました。そこで京都府の青谷地区だけで栽培されている「城州白梅」を見つけました。そしてそこに「寿長生の郷」という農園を開き、梅、柚子、牡丹、椿などを育ています。

看板商品は、「あも」です。昭和46年に誕生しました。大納言小豆と柔らかな求肥でできている和菓子です。求肥とは、練って作る餅の一種で、原料にかなり大量の砂糖などが使用されており、そのため、作って相当な時間がたっても柔らかく、焼いたり煮たりせずに食べることができます。

「一壺天」は、大粒の栗を炊きあげて、厳選した極上の大納言小豆のアンでくるんでいます。

「叶ロール」は、洋風和菓子の一つで、あずきクリームとスポンジのバランスが絶妙です。和三盆糖のコクのある甘み、豆の味がしっかり出ているので、和菓子を食べているような気分になります。軽い口当たりで小豆クリームとスポンジのバランスがとれていて、アッサリとした味です。洋風和菓子のお手本のような叶ロールです。

叶匠寿庵の「あも」

満願堂  (芋きん)
東京都台東区浅草日本店がある浅草万願寺の店です。

粋と伝統が息づく江戸和菓子の店だそうです。

お店が、浅草オレンジ通り本店、吾妻橋店、浅草店とあり、その他には東京大丸店、上野松坂屋店、浅草松屋店、北千住丸井店、銀座松坂屋店、羽田空港店などがあります。

代表的な商品は、「芋きん」です。特上のさつま芋を使用し、焼きたての香ばしさを伝えてくれるようなものです。甘味を抑えていますので、食べやすいと思います。

「栗入り芋きん」は、芋きんのアンの中に栗を入れたものです。

「江戸きんつば」は、四角い小豆あんに薄い皮をまとわせたものです。

「満願どら焼き」は、あずきの甘さが光るアンとふんわりと焼き上げている皮に挟んでいるもので、定番の商品でもあります。

ちなみに、2008年9月18日にフジテレビ系の「とんねるずのみなさんのおかげでした」の芸能人御用達お土産ランキングBEST20のコーナーでは、谷原章介産の紹介した芋きんが第15位に選出されました。

満願堂の 栗入り芋金

ずんだ茶寮  (ずんだ餅)
設立が1947年の本社が仙台市にある株式会社菓匠三全のずんだ餅のお店です。

菓匠三全は、東北仙台の和洋菓子の製造販売の会社です。仙台銘菓の萩の月が有名です。
元々は、宮城の蔵王町で「田中飴屋」として飴を作っていましたが、そのご油揚げ菓子などを製造していましたが、1979年に萩の月を売りだしたところ、たちまち人気商品になりました。

ずんだ茶寮は、宮城県の郷土菓子として知られているずんだ餅やずんだスイーツの店で、ずんだ餅を全国的に知られる契機になったとも言われています。

ずんだ餅は、枝豆を茹でて、皮を取った後潰したものをずんだと呼び、これを餅にまぶしたものです。餅もそうですが、ずんだも水分が多くあるため、長期間の保存がききません。

ずんだ茶寮の餅は、宮城の新米の「ミヤコガネ」を使用し、餅米が本来持っている粘りとコシがあります。

ずんだ餅の食べ方は、保冷箱から取り出して常温で解凍し、その日の内に食べるようにして下さい。

ずんだ茶寮では、ずんだ餅以外にも、ずんだスイーツとしてずんだクリームの「ずんだロールケーキ」、ずんだが入っている「ずんだ白雪チーズケーキ」、生クリームをずんだ飴で包みさらに白玉の餅で包んでいる「ずんだ生クリーム大福」、北海道富良野の青えんどう豆「大緑」を使用している「富貴どら焼」などがあります。

菓匠三全の和菓子

銀座まめはな  (あられ・せんべい)
設立が2005年の東京都中央区銀座にある株式会社銀座中条の豆乳あられとせんべいの店です。
銀座中条は、東京ばな奈やバウムクーヘンのねんりん家、シュガーバターの木などの有名ブランドの株式会社グレープストーンの関連会社です。

銀座中条は、「たい焼き銀次」も経営しているようです。

看板商品は、豆乳あられです。餅米を豆乳だけで焼いているあられで、体にやさしい豆乳が入っています。豆乳あられには、「海老あられ」、「豆あられ」、「揚げだしあられ」、「焼きとうもろこし」、「枝豆あられ」、「わさび醤油」、「ちょこあられ」などの種類があります。

「豆乳醤油せんべい」は、その厚さ、くちざわり、醤油と豆乳の旨味が味わえるせんべいです。

豆乳を使用した和生菓子としては、豆乳クリームの「あんみつ大福」、小豆と大豆の香りがよい調和の「おおあくび」を取り揃えています。

銀座まめはなの花ざかり

銀座たまや  (和菓子)
設立が平成13年の東京都中央区銀座にある株式会社東京玉子本舗の和菓子店です。
創業は新宿でしたが、すぐに東京駅構内のキヨスクで「東京たまご ごまたまご」の販売を開始しました。
平成14年に銀座に移転し、「銀座たまや」の名称で本店を開きました。以降、東京駅八重洲中央改札店、羽田空港、東京銘品館上野公園口店、平成16年に大丸東京店、その後、新宿駅構内、大宮駅構内、都内有名デパートデパ地下などに店舗を展開して来ました。

創業当初から、銀座たまやでは、食品業界ではタブーであった「黒」に挑戦し、あえて黒い素材を使用してきました。実は、黒い素材には、健康によいものが多いそうです。

代表的な商品は、「東京たまご ごまたまご」です。東京土産でも知られてきていますが、黒胡麻のペーストと黒胡麻アンをカステラの生地でくるみ、ホワイトチョコレートで覆っているたまご型のお菓子です。中は4層になっていて、いろんな味が楽しめます。

「東京とろ~りしょこら」は、夏の気温、冬の暖房による室温などで溶けやすいチョコレートを逆転の発想で年間を通して食べることができるようにしたものです。つまり、チョコレートでお菓子をコーティングするのではなくて、クッキーの中に閉じ込めるというものです。

「すいーとぽてたまご」は、徳島県産のさつま芋「鳴門金時」を焼き芋にし、バターや生クリームを加えてさつま芋アンにします。それを紫芋をミックスしたホワイトチョコと国産小麦粉100%のカステラ生地でたまごの形にくるんだものです。スイートポテトのようなものだそうです。

銀座たまやの東京たまご ごまたまご

源吉兆庵  (和菓子)
創業が1947年の本社が東京都中央区銀座にある株式会社 宗家 源 吉兆庵のお菓子店です。

現在は、東京の銀座に本社がありますが、元々は岡山を本拠としていました。岡山はフルーツでも有名ですが、同社も式の果物を使った和菓子をメインの商品としています。

1947年に岡山市で創業し、1988年に菓匠清閑院、1992年に香寿軒、1993年には、シンガポールやロンドンへ進出、1994年に鎌倉源吉兆庵・鎌倉本店、2005年には日本橋屋長兵衛など多彩に展開して来ました。現在では、国内店舗約135、海外店舗を15所有しています。

一年中を通しての定番商品は、「いち葉」は、256層もあるサクサクとしたパイです。
「福渡せんべい」は、波型に焼いている洋風煎餅に、ソフトな甘さのクリームをはさんでいます。
「津弥」は、小豆あんの入ったどら焼です。

源吉兆庵が得意とする四季折々の季節の菓子は、春の「さくらんぼ」では、ゼリーの中にさくらんぼ閉じ込めてるお菓子です。
夏の代表的なお菓子は、「陸乃宝珠」で、マスカット・オブ・アレキサンドリアに砂糖を塗っています。
秋は、「粋甘粛」で、干し柿の中に白いアンが入っています。
冬のお菓子は、「恋する和菓子」で、作家の小山薫堂氏の著作「恋する日本語」の中の言葉にインスピレーションを得ているお菓子です。

源吉兆庵のお菓子

花園万頭  (ぬれ甘なつと)
創業が天保3年、1834年の本社が東京都新宿区新宿にある株式会社花園万頭の甘納豆の店です。

もともとは、お菓子で有名な加賀前田藩の城下町金沢にあった石川屋本舗だそうです。その店が明治になり東京へ進出し青山に店を構えました。その後、赤坂に移りましたが、火事にあい昭和5年に新宿に移転しました。移転先の近くに花園神社があり、屋号を花園万頭としました。戦争で店も焼けましたが、負けずに頑張り、その時に出来たのが「ぬれ甘なつと」でした。

定番商品は、「ぬれ甘なつと」です。誕生から60年も経ちましたが、未だに人気商品です。北海道産のあかね大納言小豆と本グラニュー糖のみで作られています。職人が、4っ日間もかけてじっくりと蜜に漬けています。

「花園万頭」は、四国の和三盆糖を加えて作られているコシアンと、手作業で摩り下ろしている大和芋をくわえていて、しっとりと蒸し上げられている皮でできている花園万頭を代表する万頭です。日持ちが悪いため、オンラインショッピングでは買えませんし、転倒でも数量限定販売となっています。

花園万頭のぬれ甘なつと

和楽紅屋  (和ラスク)
経営母体等は不明です。

パティシエとして有名な辻口博啓氏の店です。

辻口博啓シェフは、石川県七尾市の出身で、和菓子屋「紅屋」の長男です。この「紅屋」は、その後倒産しましたが、辻口シェフは、和菓子屋を継ぐ気はなく、小学生の時に食べたショートケーキに感激して、洋菓子職人となりました。

東京都内のフランス菓子店で住み込みで修行しましたが、たちまち頭角を現し、各種お菓子のコンクール等で優勝するなどして、コンクールあらしの異名を付けられました。フランスの有名菓子店「パティスリー・ベルダン」で修行し、2001年には、東京自由が丘のスイーツ店「モンサンクレール」のオーナーパティシエとなりました。その後は、料理の鉄人などに出演し、ますます有名になるとともに、多くの菓子店をオープンしてきました。

「和楽紅屋」は、生まれ育った石川県七尾市にあった父親の和菓子店「紅屋」を復活させたものだそうです。

辻口パティシエとしては、和の世界をさらに追求し、世界に発信して行きたいという願いがあるそうです。

和の食材、洋の素材を溶け合わせて、究極のラスクを作り、それに日本の究極の甘味であるという「紅屋自家製つぶ餡」を付けて食べるというスタイルを提供しています。

「和ラスク」は、和三盆、黒糖、本和香糖、三温糖といった厳選した4つの砂糖と北海道の発酵バターを使ったソフトな甘さのラスクです。

「彩り和ラスク」は、和ラスクにバリエーションをもたせたもので、プレーン・天空抹茶・温州みかん・カフェ黒糖・能登づくし味噌・いちご・あおのり七味・五郎島金時芋・バニラと栗・紅玉りんごとキャラメルと10種類もあります。

「東京和ドーナツ」は、国産の丸大豆を使用したおからと豆乳をタップリと使っているドーナツで、油で揚げずに焼いているドーナツです。

和楽紅屋の和ラスク